2020-04
鷲見 雄馬さん
今日は、 ダンサーをサポートするため色んなプロジェクトを企画している東京からやって来た多才なダンサー 、鷲見雄馬さんをご紹介します☆
雄馬さんとは、昨年末の竹内翼バレエスタジオさんの第2回発表会にゲストで出演されている時に初めてお会いしました。その時はご挨拶くらいしかできなかったのですが、後日彼がTwitterで
「本気で訴えたいんですが、本格的にダンサーをサポートしたい方、一度集まりませんか?」
と呟いているのを見て、即食いつきました(笑)。
このツイートに反応したのは私だけではなく、多くの反響を見て
「この現状を何とかしたい!」
と、みんなが痛感しているのを目の当たりにしました。
「日本の治療家やダンサーのレベルは決して低くないと思います。問題は、インフラとしての整備にあまり繋がっていないことです。 」
この後の雄馬さんのツイートを全部読んで頂きたいのですが、あまりの情報量と専門用語のため敷居を上げてしまってはもったいなので、先ずは雄馬さんがどんな方なのか、インタビューをご覧下さい!
なぜバレエを選んだのですか?
バレエを職業に選んだのは、とにかくバレエが好きだったからです。昔から音楽が好きだったので、留学できるかわからなかった高校の頃も、なにかしら音楽に関わる仕事がしたいなと思っていました。文章を書くのも好きでしたが、批評をする側よりは表現をする側でいたいなと考えていたので、踊ることを仕事にするのは本望でした。
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
一番感動したのは、モスクワのボリショイ劇場で踊った時だと思います。
所属していたジョージア国立バレエ団とボリショイバレエ団の合同公演で、ウラジーミル・ワシリーエフやセルゲイ・フィーリンも観に来ていました。
自分がダンサーとして舞台に立っているのも不思議なくらい、始終圧倒されていた覚えがあります。
バレエに関することで辛かったことはありますか?
また、どうやって乗り越えましたか?
プロになって2週間目で膝の怪我を負い、1年以上まともに踊れなかったことです。
初めての国で、初めての劇場で、初めてのプロ生活なのにいきなり踊れなくなって、歯痒く、悔しい思いをしました。
怪我自体が治ったのは治療家さんの治療のおかげですが、一番辛かったのはメンタルで、これはとにかく自分の(身体に関する)知識のなさと努力不足を認めて、地道にできることを一つずつ始めるしかありませんでした。
今のお仕事をするようになったきっかけを教えて下さい。
いまはダンサーやジャイロトニック®︎のトレーナーのほかに、ソフトウェアエンジニアとして働いています。
バレエ団最後の2年間は、自分自身の怪我をきっかけに、バレエ団だけではサポートしきれない数々の問題をダンサーたちが抱えているのを実感するようになり、もっと自分が力になれたらと思う気持ちが日に日に強くなっていました。
そこで心機一転、自分の手でダンサーをサポートできるようなサービスを作ろうと考え、バレエ団を辞めて帰国し、一からプログラミングの勉強をしました。
いまバレエを通して望むことは?
いまこういった状況では、お客さまに劇場や舞台へお越しいただいて、バレエを知ってもらうことはできません。ですが、ダンサーは舞台に立って踊ることしかできないわけではありません。
バレエ団時代お世話になった劇場監督のニーナ・アナ二アシヴィリは、50代のいまもダンサーとして踊り、子育てもし、海外のバレエ団やバレエ学校での指導もこなしながら、芸術監督としてバレエ団を率いていました。
本当に偉大なダンサーはバレエの良さを言葉でも表現できるし、舞台に立つための努力はバレエ以外のどんなことにも活かすことができます。
プロのダンサーや教師の方々にはぜひバレエのそういった面についても発信していただきたいですし、プロを目指している方にはこの機会にバレエの歴史や作品の背景、解剖学なんかを勉強してほしいなと思います。
そこで!
5月4日(月)13時から、ジョージア国立バレエ団プリンシパル高野陽年さんと雄馬さんによる
第1回オンラインバレエ勉強会が開催されることになりました!
テーマは 「ダンサーって本当にアンドゥオールをしないといけないの?」 です。
「他の舞台芸術と比べたり、歴史や解剖学から考えたり。マニアックに攻めたい方歓迎」だそうです(笑)!
参加費は無料です!ハングアウトを使って行われます。
ご参加希望の方は、雄馬さんのTwitterかInstagramにメッセージを下さい、とのことです☆
Twitter: すみゆうま@ダンサーサポート
Instagram: sumiyuma
皆さん、フォローして下さいね!
また、今後の動きとして
「バレエ界やダンサーの就労環境に関するアンケートを出して、実態についてデータをちゃんと可視化するウェブサイトを作ろうとエンジニアのチームを組みました。
早ければ来週くらいにはアンケート公表する予定です!
あと治療家の方々にも声はかけていて、治療家チームを派遣して公演の帯同を行ってるNPOの方とも話し合ったりしています。
シリコンバレーのスタートアップイベントでプレゼンをしたり、イベントを開く計画を立てたりもしてたんですが、こちらはコロナでいったん停滞気味です…
バレエ団時代からダンサーのオーディションの相談とかにはよく乗ってたので、ジャイロの指導含め個人レベルでもできることはいろいろやろうと思ってます。」
だそうです☆
バレエダンサーの視点を持つ雄馬さんのプロジェクト、私は個人的に凄く楽しみ且つ期待しています☆
それと、先ず5月4日のバレエ勉強会!私も参加させて頂きます☆興味がある方は是非ご参加下さいね!
バレエ愛を持つ皆がもっともっと繋がって、助け合って行けるようなバレエ業界になることを私も切望しています。
雄馬さんの活動に関しては、またご案内させて頂きますね!
雄馬さん、有難うございました!
理恵先生と早穂先生
私が何かアクションを起こす時、お伺いを立てたらいつも
「全然問題ないよー!まりさんには バレエ愛が溢れ出てますもの!」
「 こういう形で、サポートしていただけると、本当に心強いです。 」
って、快く協力をして下さる大好きなお二人☆☆
R→田中理恵先生と
S→大内田早穂先生のご紹介です!
バレエ講師になられたきっかけを教えて下さい
理恵先生:
当時の先生に頼まれた?誘われた?のがきっかけです。高校生だったか、大学生だったか…? 自分が先生になるのは本当に考えていなかったのですが、やるからには自分だったらこういうこと知りたいなぁ、っていうことを伝えたいと思って、やたら細かくなってしまう部分を常に反省しています。
早穂先生:
岡本バレエスタジオのスタッフとして、クラスを受け持たせてもらったのがはじまり。教えの仕事に携わるようになり、生徒さん達の「うまく出来ない」に対処していく為には、自分自身がもっとバレエを理解し、研鑽を積む事しかないのだと感じるようになった。
それは、自負自身の「うまく出来ない」の解決にも繋がり、結局は自分が一番学ばせてもらっている。
なぜバレエを選んだのですか?
理恵先生:
なぜなんでしょう?好きなんだと思いますが…
音を聞いて合わせたり、素敵な衣装を着たり、頑張れば他人にはわからないくらいの少しずつですが身体に答えが出ることだったりでしょうか。
以前雑談した著名なバレリーナの言葉を借りると
「バレエは魔物よ」だそうです。
早穂先生:
何かを表したい、伝えたいと思ったとき、そして自由になりたいときに、しっかりとした軸が必要となる。 それは、身体の軸であり、思考の軸でもある。その強固な軸を作るために、計算し尽くされたシステムを持つバレエは、無双だと思うから エレガントを探求する為に、オッサン臭く積み重ねていくとこが、バレエの素敵ポイント 。
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
理恵先生:
こどもの頃から自分が上手じゃないな、という自覚はあったのですが、バレエに関して実力以上の試練が結構多かったので、目の前にやってきた難題をあっぷあっぷしながら過ごしており、あまり過去の記憶がはっきりしません^_^;
「pas de deuxのパートナーは上手くないと勉強にならない。自分が下手なら尚更」という先生の考えから、国内外の実力あるダンサーと組ませてもらったことはすごい財産となっていますが、2014年の合同バレエの夕べで新国立劇場の舞台に立たせていただいたことも一生に一度の貴重な経験となりました。
早穂先生:
ポジションや動きで、これだ!と、感じたとき。 (随時更新中)
バレエに関することで辛かったことはありますか?
また、どうやって乗り越えましたか?
理恵先生:
実は現在進行形なのですが、変形性股関節症を治療中です。
と言っても骨や関節を損傷しているので戻ることはなく、周りの筋力を強化するなり姿勢を改善する他は人工関節を入れるしかありません。
症状は自分にしかわからないので、整形外科、カイロプラクティック、整骨院にお世話になりながら
バレエとピラティスで試行錯誤しています。
練習しても痛くなる、休んでも痛くなる、という時期を過ぎ、ようやくまっとうなリハビリになりつつあります。
早穂先生:
バレエを続けていけば、必ずコンプレックスの壁が立ちはだかってくるが、理想と現実の隔たりをコツコツと埋めていく作業を続けていくだけなのだと思う。
バレエは、ツンデレだから・・・
報われない事もあるかもしれないけれど、自分の身体で踊るのはやっぱり楽しいことも教えてくれる。
いまバレエを通して望むことは?
理恵先生:
私達のスタジオは大人の生徒さんがほとんどです。
歳を重ねていく中で、若い頃とは違い身体が色々変化してゆきます。真っ只中の自分の身体をもって、あともう少しバレエの近くにいられたら、と思います。
早穂先生:
厳しい時代に、突入しています。
これまでの社会的価値観が、大きく変わってしまうかもしれません。
残念ながら、文化、芸術、とくに身体を使って表現するステージアーツは、とても危機的な状況です。 生きることが最優先であることは当然ですが、アート的な余裕を受け入れる事ができない社会思考は、人間が人間らしく生きていく事を放棄している事に等しいと思います。
アート(踊り)では、お腹いっぱいにはならないが、アート(踊り)は心を満たすことができる。
青臭いかもしれませんが、人間として生きて行く事を望むのなら、決して忘れてはならない事だと思います。
かといって、健康な社会が確保できない限り、活動を完全に再開する事は難しいのですが、 それでも、「踊りたい」 という気持ち失わなければ、制限された中でもそれなりに方法は探せると思います。
現に、いろいろなアーティストや団体、お教室が模索しながら発信しています。
これらの経験が、新しい文化やアートに進化させ、今後の発展に繋がっていくのだと信じています。
些細な事でもいい、殺伐とした空気の中でも、心身ともに健康を保つ努力を続けていきながら「踊りたい」を大切にしながら乗り越えていきたいと思います。
有難うございます!
おしゃれなけやき通りにある大人のバレエスタジオ、
R&Sバレエ・アティチュードさんは、来年20周年を迎えられます☆
私がバレエショップでお仕事していた時からもちろんお教室のことや先生お二人のことは存じ上げておりましたが、
クールビューティーなお二人にとってもびびっておりました(笑)。
しかし、2010年のGreen dance collectionに出演された理恵先生にご挨拶をさせて頂いた時、私の過剰な恐縮をよそにとっても優しく接して頂き
その後、お教室でmini marketをさせて頂いたり
リハーサルに呼んで頂いたりと、お二人にはとってもお世話になっております<m(__)m>
お会いした当時スタジオ10周年を迎えられたお二人に、開業間もなかった私は色んなことを質問させて頂きました。
なんでお教室名がR&Sなのか、どうすれば長く事業ができるのか、理恵先生にはピラティスのこと、執筆をされていた早穂先生には活動の仕方など、今思い返すと失礼じゃないかと思うほど色々と質問攻めにしてしまったのですが、お二人は一つも嫌な顔をせず丁寧にご教授下さいました☆
1から自分の足で頑張った方って、本当に優しいんだなと感動しました。
そしてお二人に共通している凄いことろ!
いつもご飯が美味しそう(笑)!
なんと、手打ちうどんやゴマ豆腐もご自身で作られる早穂先生!
先生のゴハンいつも美味しそう!と言うと
「バレエも食事も一緒よ。」
と。生活のすべてに美意識を感じます☆
作品と言えば、大内田巨匠はいくつも素敵な作品を作られています☆
シリアスと見せかけて、
ユーモアを隠しきれないところが大好きです(笑)。
チャリティ公演にご参加されたり
お教室では編み物が得意な理恵先生が、チャリティのための作品を作られたり♪
本当にお二人からたくさんのことを学ばせて頂いております☆☆
1日も早くレッスンができるようになって欲しいですね。
理恵先生と早穂先生の新たな活動と、ゴハンのお写真を楽しみにしている私です♪
早くお二人とお教室の皆さんに、再会できますように☆
「いいね!」よろしくね!
森塚 華奈先生
2003年、私が大人になってバレエを復帰したての頃
レッスンに向かってたら、目の前にすっごいスタイルが良い美人が歩いてて
「このビルはモデル事務所もあるのかー♪」
って思いながらスタジオに着いたらその美人がいて(@_@)
わたし、一緒にレッスン受けて良いのだろうか。。。
と恐縮しまくったのを覚えています。
。。。って、あまりにキレイだからみんなで質問しまくったけど(笑)、笑顔で仲良くなってくれたのが、この方。
ソレイヤ・ジェインズインターナショナルバレエスクールのヘッドティーチャー、森塚華奈先生のご紹介です❁
バレエ講師になられたきっかけを教えて下さい
Kバレエカンパニーを経て、また海外を挑戦したいと思ってた時にレッスンで大怪我をしてしまって……オーディションのチャンスも逃して精神的にも落ち込んで帰国してた時に、リハビリを兼ねて受けに行ったオープンクラスの先生がソレイヤ先生をご存知で、英語が分かる助教を探してあるから良かったら行くだけでも…とお話しを頂いてスクールへ伺ったのがきっかけです!
福岡を飛び出して何年も経っていて、戻る場所もなく、指導の経験はゼロだった私を、ソレイヤ先生は温かく迎え入れて下さって14年経ちました…早い(笑)先生には本当に感謝しています。
なぜバレエを選んだのですか?
何故かしら(笑)。もうずーっと昔のことで…
気付けば1日中バレエ教室にいたり…生活の1部になってました!とにかくバレエに関わっていることが好きなんですね♡
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
1番がいっぱいありすぎる(笑)!
教える立場になった今は、やっぱり生徒が舞台に立つ瞬間かな…
大丈夫かしら、ちゃんと踊れるかしら、100ぐらいハラハラする私の心配をよそに、本番では凄い力を発揮してキラキラ踊るあの瞬間…ホントに感動的です!そしてその瞬間に何倍も成長してる!子供って凄い!!
バレエに関することで辛かったことはありますか?
また、どうやって乗り越えましたか?
これもいっぱいありすぎる(苦笑)!
コンクールはいつも予選落ち、成長期は足の痛みとの戦い、他にも思い返せば辛いことだらけだったけど、バレエを辞めようとは1度も思わなかったかな。どんなに辛いことあっても、足が痛くても踊ると忘れちゃう単純な性格も良かったかしら(笑)。
あとは素晴らしい先生方や切磋琢磨してきた仲間との出会いがあったからかな…出会いって凄く大事で、大切にしなきゃいけないと思うんです。素敵な縁があったこその今の私。有難いことです。
いまバレエを通して望むことは?
今は何でも簡単に手に入ってしまう時代…
でも簡単に手に入れたものはすぐに壊れたり失われる。でも地道にコツコツ積み重ねて努力して得たものは自分の身になり、それをしてきた人が見せるパフォーマンスだから人は感動すると思うんです。舞台にはその人の全てが映し出される…私はそのことを尊敬する師匠や先輩方からバレエを通して教わってきました。
バレエは本当に大変な芸術。頑張っても頑張っても報われないこともあったり、辛いことも多いけど、その大変な道を乗り越えて得た感動や達成感は、必ず力となり心の糧になると思います。
子供達には美しいバレエを通して、心を豊かにして、人を思いやる気持ちを忘れず、切磋琢磨し、希望を持って、1人の人間として素敵な人に成長して欲しいと願います。
私もまだまだ…
乗り越えるものが沢山ありすぎる…
自分の弱さと戦ってます(笑)。
コロナが終息したら1番したいことは?
スクールに皆が来るのを待ち受けたい♡
それを考えただけで泣ける…(笑)
そして皆が楽しみにしてる発表会の練習を早くしたいな♡♡♡
華奈先生、有難うございました💛
もう、華奈先生には本当にお世話になりっぱなしで。。。
2008年に私がレオタードの輸入を始めたころから、お教室を紹介して下さったりモデルさんになって下さったり。。。
ずっとキレイでいてくれて有難う(笑)💛
いっぱい大変なこともあったと思うんだけど、弱音も文句も言わないハートから美しい人なのです。
華奈先生にも、今までのお返しできるように気合い入れて頑張んなきゃ!と思っております☆
いつも有難う!
◆Soraya Jayne’s International Ballet SchoolのHP
※スタッフ紹介の美しい二人、私が撮ったのー(笑)💛
◆You tubeもあるよ♪
「いいね!」よろしくね!
ことし皆の舞台が無事に観ることができるよう、心から祈っています☆
高田 裕香先生
ほあしまり的視点☆先生がたの素晴らしいところ
次は、福岡市博多区のYUKAバレエスクールの高田裕香先生です☆
裕香先生にこのインタビューをしている時、
「私たちもう出逢って20年よ!」
って言われて、びっくり(笑)!
裕香先生は、私がまだダンスショップで働いていた頃からのお客様なのです。
いつも楽しそうに生徒さんと一緒にポワントを買いに来て下さってて、バレエの先生だけど社交ダンスも詳しくて・・・そんな裕香先生のご紹介です☆
バレエ講師になられたきっかけを教えて下さい
中学生くらいから、先生のお手伝いで小さい子達のお世話をすることが多く、その子たちが何か出来るようになって喜んでいる姿を見たり、舞台を作っていく過程(裏方業務)が好きでした。
高校生で進路を決める時には、先生にキッパリと「指導者になりたい!」と言ってました(笑)。
なぜバレエを選んだのですか?
一時期、バレエから離れて社交ダンスをしていたこともありました。
でも、やっぱりしっくり来るのはバレエでした。
社交ダンスの先生から、
「今まで親御さんに買ってもらった技術、今度は売らないともったいないよ!」
って言われて。
そういう考え方もあるのか…って、教え始めたら、またバレエにどっぷり浸かっちゃいました(笑)。
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
舞台の度に感動しますが、絶対に忘れられないのは
発表会1ヶ月前に、脳の病気で緊急入院した子(小1)がいました。
もしかしたら、意識不明のままかも…と、泣きながらその子のママと話したなー。
スタジオのみんなで、奇跡を信じて待ってたら、2週間後に退院。
でも、お医者さんの話では、「バレエは忘れていると思う」って言われて。
本番1週間前にレッスンに復帰したけど、音楽かけたら、普通に踊れたの!
もうこれ、涙もの。本番も、緞帳上がって、踊り出した瞬間に、ママと手と取り合って泣きました(笑)!
バレエに関することで辛かったことはありますか?また、どうやって乗り越えましたか?
生徒が辞めたときももちろんですが、今も辛いかも。
生徒達に会いたい。
思いきりレッスンしたい。
くだらない話をして、みんなで笑いたいです。
生徒が辞めた時は、同業の仲間が話を聞いてくれたり、時間が解決してくれる。
今は、時間は解決してくれないので、大人しく家にいます。
同じことを志す友達が増える。そういう友達って、いくつになっても繋がっていられるんですよね。
あとはバレエって、面接とかでも威力を発揮すると思います。
・姿勢がいい。
・自分の意志を伝えることが出来る。
・度胸がつく。
・笑顔が最高(笑)
卒業して行った生徒達が、いつも言ってくれます。
技術だけでなく、人としても成長出来ると思ってます。
ゆか先生、有難うございます!
裕香先生は私のお仕事が変わってからも、変わらず仲良くして下さって
「〇月〇日、開いてる?」
って連絡が来る時は、いつも楽しい舞台や撮影をご紹介下さるので、とっても感謝しています☆
中でも、2年前にご紹介下さったピアノとバレエのコラボ公演
は理想的なアートの融合で、夢のような舞台でした☆
私は運営には関わっていないので、いつも出来上がった美しいものを写真で愛でるだけですが、1から舞台を作り上げるのは本当に大変だと思います。
でも、どんな困難があってもいつも楽しく優しく接して下さる裕香先生。
生徒さんのことが大好きな裕香先生。
生徒さんのために舞台のお衣装を作られることもしばしば。
コロナとの闘いが終わったら、また一緒に笑いながら活動したいですね!
いつも本当に有難うございます☆
「いいね!」よろしくね!
高橋 邑瑚先生
ほあしまり的視点☆先生がたの素晴らしいところ
次は、福岡市中央区のK-BALLET認定校
Takahashi Satoko Ballet Studioの高橋邑瑚先生です☆
私にとって邑瑚先生は、Performance「道」に関する楽しくて感動的な思い出がいっぱいな、とってもお世話になった器のでっかい女性☆
(このお話は、また後ほど♪)
では、さとこ先生のインタビューをご覧下さい♪
バレエ講師になられたきっかけは?
劇団四季を辞めて、もう舞台関係の仕事はしないでOLさんをしようと勤めた会社の会長婦人に「勿体無いから教えなさい」と言われて…
なぜバレエを選んだのですか?
小さい頃からバレエだったので、考えた事なかったけど…1番勉強したのがバレエだったから、教えるならバレエだった 。
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
劇団四季で「アンデルセン」のマダムドーロを演じた時。
バレエだけやってたら絶対に組むはずのない堀内元さん(もとニューヨークシティバレエ団のプリンシパルで、現セントルイスバレエ団の芸術監督)と夫婦役、そしてアダジオを踊ったこと。
バレエ界の外に出て、バレエ界を客観的に見ることが出来る様になった気がします 。
辛かったこと
生徒が辞めてしまった時。
何度もありますが、慣れません。
時間が解決してくれてる気がします。
望むこと
なんでも簡単に便利になる世の中で、コツコツ努力しないと叶わない、努力したからと言って必ず叶う訳ではない。
…そんなシンドイ事だけど、 頑張った人にしか味わえない感覚、感動を味わってもらいたい。
そして、そんな世界を幅広い方々に理解してもらって、 頑張ってる子ども達を応援してもらいたい 。
※お教室のHPにもさとこ先生の目指しているものが掲載されていますので、是非お読み下さい♪
さとこ先生、有難うございます!
仲良しの先生を通して、舞台のリハがあるから撮りに来ない?って誘われたのがこのPerformance「道」でした。しかし、 Performance「道」 って何だろう?
と、このプロジェクトが出来るまでを故高田聰子先生にレクチャーして頂き、本当に本当に感銘を受けましたので、お手伝いになれてたか分かりませんが私も微力ながら撮影協力でお手伝いさせて頂くことになりました。
ご自身のお教室を抱えながらの、舞台へ向けてたくさんのお教室の先生と生徒さんたちの指導とリハーサルのオーガナイズ。 本当に大変だったと思います。
遠方からプロのダンサーや振付の先生を招いて、張り詰めた空気の中でのリハもありました。
そんな中、私が感動したひとこまがこちら!
みんなで邑瑚先生のお誕生日のサプライズをしました♪
お教室やプロ・アマの垣根を越えた 、希望へと続く「道」を見出したい。
邑瑚先生たちのご尽力が、このコンセプトに近づいた瞬間を見たような気がしました☆
みんながひとつになってる!!!
そして迎えた本番は、サンパレスがSOLD OUTになるほどの大盛況でした!
こんな感動に立ち会わせて下さったこと。
そして今では頻繁にお会いできないけど、突然のインタビューにも関わらず心を開いて下さっていることに、本当に感謝しています<m(__)m>
世の中は変わっても
変わらない物がバレエだと思います。
習い方や教え方は進化しても
そのものは不変だな〜と思います。
だそうです。
いつも楽しい邑瑚先生がお衣装を着た瞬間「プロ」になった時のことは本当に忘れられません。
立ち姿で生き様を語れる方です。
また舞台に立つ邑瑚先生が見たいわたしでございます(笑)💛
「いいね!」よろしくね!
☆こちらが、初めてさとこ先生のお教室にお邪魔した時☆
では、また何か先生と一緒に活動できたら嬉しいです☆
有難うございました!
丸山 祥子先生
ほあしまり的視点☆先生がたの素晴らしいところ
3人目は毎年、兵庫県西宮市から舞台撮影でお招き下さる
Sur la Ppoine Balletの、丸山祥子先生です☆
祥子先生との出逢いは、今から約4年前。
私がPerformance「道」Ⅱの舞台を撮っていた時、
出演されていた祥子先生が私を見つけて下さいました☆
(このお話は、また後ほど♪)
それでは、おしゃれで楽しくてスーパー几帳面、とってもできるスーパーウーマン☆祥子先生のインタビューをご覧下さい♪
バレエ講師になられたきっかけを教えて下さい
体型もテクニックも、プロとしての要素は無いと小学生の時点で自覚していましたし(←そんなことない!)、中学校でバトン部の部長、高校ではテニス部の副部長に選ばれ、私は人をまとめ、後輩を指導する立場を任される運命なのかと……笑
なぜか「バレリーナになりたい!」というよりは「自分のスタジオを持ちたい!」という思いの方が強かったです。
きっと最初に習った先生の影響だと思います。
仕事をしながらバレエをする自分が想像できなかったのもあり、自然とバレエ一筋になりました。
なぜバレエを選んだのですか?
最初はクラシックバレエではなく、いろんなジャンルがミックスされたダンス教室に通っていたのですが、バレエ教室の見学に行く妹に付いて行ったところ、妹ではなく私が入会。しばらくダンスと並行してバレエを習う日々が続きましたが、阪神・淡路大震災でダンススタジオが閉鎖…。バレエ教室はさほど被害がなかったので継続…となりました。
ミュージカルや宝塚歌劇のようなジャズダンスも好きですが、バレリーナの所作やオーケストラの音色が性に合っていたのかもしれません。
綺麗なお衣裳も魅力ですしね!
バレエに関するできごとで、1番感動したことは何ですか?
毎日感動!!
ありがたいことに、願ったことが叶うバレエ人生を歩んでおります。
1番と言われると難しいですが…
独立してスタジオを立ち上げたことが人生のターニングポイントでもあるので、その時になるかなぁ。。
まりさんとの出会いも感動!!(ありがとうございます!!)
私が福岡に踊りに行くことが無ければ出会ってなかったですもんね。
そのときはお話もしていないのに(笑)
あとで公演の写真を見て、
「こんなに素敵な写真を撮る方だから間違いない」
という直感は当たっていました。
スタジオでは見せたことのない表情で写っている生徒たちの写真に、いつも感動しています。
バレエに関することで辛かったことはありますか?
また、どうやって乗り越えましたか?
辛かったこと…。あったのかも知れませんが、覚えてません。笑
振付に行き詰まった時は地獄ですが作品が完成して、無事に幕がおりたときにそれまでの辛さや苦労を忘れてしまいます。
当たり前の日常が失われ、満足にバレエができない状況ではありますが、これをきっかけにおうちでお稽古している動画を送っていただいたり、保護者の皆さまのご協力で新たな取り組みやアイデアがどんどん湧き出ています。
本当に人に恵まれた人生です。
まさに今が乗り越え中なのかもしれません。
いまバレエを通して望むことは?
レッスンに行けなくなってしまった今、これまで作り上げてきた体を維持できるのか不安な時に、海外のバレエ団のオンラインレッスンで普段なら受講できないような先生のレッスンができるようになりました。
プロの方が、普段どんな練習をしているのかもSNSのおかげで知ることができます。
バレエ教室の数だけバレエの先生がいらっしゃって、色んなお考えをお持ちの方がいることが分かりました。
現在、公演・発表会中止を余儀なくされていますが
安心して舞台に立てる日が来るまで、とにかく健康な体を維持してほしいです。
そして、初対面の方に「バレエしてます」というと
「バレーボール?」「踊るほうの?」
と、聞き返されることがないくらいバレエがもっと身近な芸術になればいいなぁと思います。
祥子先生、有難うございます m(__)m
毎年楽屋に入ると、その舞台の可愛いグッズをご用意下さっていて
兵庫県に行く前から、行き届いたおもてなしをして下さる祥子先生。
舞台の演出、振付、ゲストさんの手配を全部お一人でされて
しかもご自身も主役を踊られるので、早くからウォームアップをされます。
さぞ、爆発しそうに大変なんだろうな・・・と察しながら伺うのですが
なんだか毎年とっても楽しそうです(笑)♪
私は日ごろなまけてる一夜漬けタイプなのですが(笑)、祥子先生はいつもちゃんと優秀でテスト前に慌てない優等生だったんだろうなーと思うんです。
楽しいだけじゃなくて、徹底した美意識☆
メイクを統一するため、舞台メイクは生徒さんも全員プロの方にして頂きます。
そして、毎回サプライズがあって
「まりさん、〇〇は本番まで内緒にして下さいね♪」
と、お客様に喜んで頂く準備もバッチリ☆
いつも夢のようなステージを見せて下さるので、一人新幹線に乗って帰るのが本当に寂しいです。。。
でも、また1年後みんなに笑顔で会えると信じています☆
こんな時だけど、皆さん元気でいて下さいね!
きっとまた祥子先生が、面白い動画を作って下さると思います(笑)♪
★ Sur la Ppoine BalletのHP
★おもしろ動画がいっぱいの祥子先生のブログ(今はおうちレッスンでまじめですね!)
どうぞご覧下さい。
祥子先生、有難うございました!
四位 昌子先生
ほあしまり的視点☆先生がたの素晴らしいところ
お二人目は、マサコバレエの四位昌子先生です☆
わたしがバレエショップで働いていた頃、いつもマサコバレエさんへのご注文の商品がすっごい数並べられていて
「どんだけでっかいお教室なんだ!」
「こんなにたくさんの生徒さんをまとめていらっしゃるなんて、きっと厳しい先生なんだろうな。。。」
と、勝手に恐縮していました。
が、
生徒さんやママたちかが口を揃えて
「マサコ先生が怒ってるとこ、見たことない!」
とおっしゃる通り、びっくりするほど優しい先生でした💛
そんなマサコ先生の、バレエヒストリーをご紹介します♪
短大を卒業の時期、友達がみんな就活をしてたけど、私は、バレエを辞める勇気が無かった。 就職したら、バレエも中途半端になるんじゃないかと ・・・
その時は、もっともっと踊りたかったし、バレエの事で、頭がいっぱいでした。
そんなに、人よりバレエが上手なわけではなかったのですが、会社で働く自分が、想像がつかなかった。
バレエが好きだったんでしょうね。
しかし、バレエで踊って食べていけるなんて、ほんの一握り。到底、無理な話。
実力もですが、金銭的にも。
でも、教える事なら、何とかなるんじゃないかと。
バレエが好き、子供も大好きだったから、バレエを教えたい!という気持ちが、どんどん強くなっていって、
よし!私はバレエの先生になろう!と決心しました 。
短大の学生課の先生から、辞めた方がいい。銀行とかに就職した方がいいと勧められましたが、聞く耳持たずでバレエを教えることにしました。
バレエに関するできことで1番感動したこと
有難い事に私にバレエを習いたいと言ってくださる方達が増えていき、 教室を立ち上げ、始めての発表会ができた事。
進路に迷い、本来だったら就職して家にお金を入れないといけない立場だったけれど、バレエを辞められずに教室を立ち上げて、発表会までできた。
周りからいろいろ反対されながらも、こんな私でもここまでこぎつけられた事です。
辛かったこと
理想と現実のギャップ。
練習してもしてもできない。
自分が10の努力をしてもできない事が、1の努力ですぐにできる人が沢山いる。
つくづく、バレエは向いてないなぁ〜と痛感しましたが、好きで辞められない。
自分より上手な人は、みんな辞めていって、私、続けていいのかなぁ?と悩み続けていました。
でも、自分が踊るのは限界があるけど、教える事だったらできない子の気持ちを理解してあげるかなぁと。
できない子、不器用な子にも寄り添って指導ができるかもと、発想を変える事でやる気が、出てきました。
マサコ先生が望むこと
現実、バレエ、芸術でご飯を食べていく事は、日本では本当に難しい。
今回のコロナの件でも、フリーランスの人への待遇は諸外国に比べて悪い。
もっとバレエが映画を見に行く感覚で一般的になり、バレエダンサーの地位が日本で高くなって欲しいし、芸術が広まって欲しいと思います。
マサコバレエさんといえば、14年間みか先生がアシスタントをされていたのですが
この春、寿退社をされました💛
こちらが、マサコ先生が開いて下さった盛~大な結婚パーティー☆
マサコ先生は優しくて、謙虚で、なんかもう心配になるほど優しい方だけど(笑)!いつも大勢の方に慕われてて、先生の周りには笑顔がいっぱいなのです💛
いつもニコニコ優しいマサコ先生が、こんな葛藤をお持ちだったということを知って、なんだか胸がきゅーんとしましたが(T_T)
でも、これからもマサコ先生はきっと皆に愛されて、新しいアシスタントの先生と一緒に素敵なステージを魅せて下さるんだと思います♪
また、みんなと笑顔で再会できますように☆
マサコ先生、有難うございました!
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加藤 由紀子先生
2008年にJoyaux de Balletを始めて、
いや2003年にバレエ業界に戻って?
いやいや1979年に初めてバレエを踊った時から、たくさんのバレエの先生がたに感動と生きる力を頂き続けて来たのに、もらってばかりでまだ何も返せてないなと思い、何か恩返しができないかなー?と、今までお世話になった先生がたの
ほあしまり的視点☆先生がたの素晴らしいところ
を、これからご紹介をさせて頂きます♪
先ずお一人目は、1番ご近所で今までたくさんのチャンスを下さった
加藤由紀子先生です☆
「まりさんが挑戦する価値があると思うなら、やってみるといいよ♪」
と、大事な生オーケストラとの舞台を袖から撮影させて下さった由紀子先生☆
もちろん、断る理由なんてあるわけないから喜んで撮影させて頂くと、そこには今までに味わったことのない感動がありました!
この経験がきっかけで、今では県外からもたくさんの撮影のご依頼を頂けるようになり、私の世界を広げて下さった恩人なのです☆
「バレエ業界でお仕事をする方たちが、ちゃんと食べていけるようにしないと業界が発展しない。」
と、どんな小さな撮影でも大切に思い、対価を払って下さる由紀子先生。
これぞ、大我だ!と。
だから、その想いに報いる活動をする必要がある!と
いつも大事な気持ちを思い出させて下さる由紀子先生が、どのようなバレエ道を歩んでこられたかをご紹介します♪
由紀子先生のバレエ人生は、福岡シティ川副バレエ学苑から始まります。
高校生の頃、支部のお教室で先生に報告するためのバレエ日誌を毎日付けていたことが認められ、アシスタントに任命されたそうです。
お教室のお掃除から始まり、レッスンの助教授、そして舞台のゲストで来日されていた海外のダンサーさんたちの接待などを通して、「踊り」に繋がるマナーも、そこでしっかり学ばれました。
恵躬子先生が作る舞台が本当に素晴らしかった
学校が終わって満員電車に揺られて学苑に通い、お掃除から始まる毎日のアシスタント業務。楽しいだけではなかったと思いますが、それでもバレエに夢中だったのは、故川副恵躬子先生が作り出す世界観が素晴らしかったから☆
高校生だった由紀子先生の胸に、その唯一無二の様式美は一生の宝として深く刻まれたそうです。
「舞台には日常がすべて出る!」
とおっしゃっていた恵躬子先生の美意識を受け継いだ由紀子先生。
その教育の賜物でしょうか。いつもお教室にお邪魔すると、ここは飛行機の中でしょうか?というほど生徒さんたちがおもてなしをして下さいます!
子供の成長は、あっという間。
身体は毎日変わる。
だから毎年、舞台に立たせてあげたい。
そんな由紀子先生は、生徒さん一人一人を本当に大事にされています。
すべてを大事に、丁寧に向き合う教育は、区画整理で旧スタジオとのお別れの時にも見られました。
「取り壊すから、さようなら」ではなく最後のレッスンが終わった後も、みんなで感謝のお掃除をしました。
ここで踊ったことは、きっとみんなの宝物になることでしょう。。。
バレエは素晴らしい。
わたしの中でバレエは絶対で揺るぎない正義なのですが、
踊れもしない自分がなぜここまでバレエを愛してやまないのか、
たまにわけが分からなくなります(笑)。
すると先生が
「まりさんが、心から感動してるからだよ」と。
わたしの長年の謎は、秒で解決しました(笑)。
バレエは感動とともにある。
「楽しいー!」って踊ってる子供たちに囲まれて生きること。
その子たちと感動の舞台を作り上げること。
そのためにレッスンをすること。
先生の周りには感動で満ち溢れています。
最後に、由紀子先生がこれから望むことを聞いてみると
「バレエファンを増やすために、もっと色んな繋がりが増えたら良いな」
とのことでした。バレエ業界人の分母が増えないと、応援するにもできない人が埋もれているのかもしれないから。
と、バレエを心から愛する由紀子先生です。
本当に、バレエの素晴らしさをもっと広めたいし、頑張ってる美しいみんなの活躍の場が広がることを願ってやみません。
由紀子先生、こんな大変な時に貴重なお話を聞かせて下さいまして有難うございました!
お教室のみんなとの再会を、楽しみにしています☆
それまで、みんな元気でいてね!
「いいね!」&フォロー宜しくね!
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かくかたりき。
親愛なる先生がた、バレリーナちゃんたち、いつも温かく迎えて下さる親御さんたち、お変わりありませんでしょうか?
わたしは大好きな皆さんにお会いできない日々が続き、とっても寂しい思いをしております。
発表会が延期になり、ワークショップが無くなり、そしてレッスンもお休みに。。。悲劇の中にいると、まるでそれが永遠に続くのではないかと思えてしまいます。
でも、バレエは500年の時代を越えてなお、私たちの心の真ん中に生き続けています。
こんなことで負けるわけにはいきません。
こんな心の時だからこそ、できる何かがあると信じて
今までにない記事を書いてみますので、どうぞご覧ください・・・
そしてみなさん、次にお会いできる日まで
どうかお元気でいて下さいね!
2020年4月10日
ほあしまり